今でも日常のふとした時に涙が出る。毎朝のランニングの後、家に帰って30分の筋トレをする。その前に5分間の瞑想を。心を空っぽにしているはずが、ツーと涙が頬を伝う。不意に流れる涙に現実世界に呼び戻されて、ため息をつく。回数は減ってきているけど、時々まだある。
5年前の今日、大親友を亡くした。ある日突然。昨日まで普通に話していた人を。自分の人生でこんな出来事は無縁だと思っていた。ドラマか映画か本の中でだけ起こる事だと、遠い出来事だと思っていた。
何の前触れもなく、大切な人を失うこと。心を元通りにするまでに、随分と長い時間がかかった。今も完璧に戻せたとは思えない。
悲しみは喪失によって引き起こる苦悩のことだと実感した。ずっと変な感覚が続いていた。私の人生は何もしないでも進んでいくのに、親友の人生が終わった? 時間の軸が捻じ曲がったように感じて、生きることと死ぬことについて何日も悩み続けた。世間と自分の時間軸がおかしくなったとも思った。
色んな本を読んだり、同じ境遇にあった人の体験談を探したり、とにかくどこに救いがあるのかわからなくて、ずっと迷子の子どもみたいな心許ない日々が続いた。1番心が穏やかになったのはすぐそばにいるみたいに、共通の友達と親友の話を普通にすることだった。他の人が聞いたらおかしかったかもしれない。そこにいるように話してる時が1番落ち着けた。
喪失には5段階の感情がある。と後になって知り思い返すとまさにその通りだった。ドイツの精神科医エリザベス•キューブラー ロスが定義した喪失後の5段階の感情のこと。
•Denial •Anger •Bargaining •Depression•Acceptence 本当にこの繰り返しで、ようやく喪失を受け入れる事が少しできたように思う。
ビザの申請中で手元にパスポートがなかった私はお葬式に参列する事が出来なかった。もしかしたら色んな方法があったかもしれないけど、思考回路がおかしくなっていたのと、数日後に親友のお葬式に参列するという事実が受け入れられなかったのもある。子供みたいだけど、参列したくないとも思ってしまった。でも、グリーフケアに置いて、それは重要なプロセスでしっかりお別れが出来なかったことで、喪失感から抜け出すのに時間がかかったのだとも今だと思う。お葬式の本来の意味を知った。
少しだけ霊感のようなものがある。その夏日本に一時帰国した私は、毎年恒例の親友との野球大会に参加した。両親は私の子供たちを連れて東京に行く事になっていて、その日は1人で実家にお留守番。朝から始まった野球、お昼頃に実家に戻ると玄関の鍵がかかっていなかった。おかしい。東京に行くのに母が鍵をかけ忘れるはずがない。この時点でもの凄く怖かったけど、リビングに入るとテレビが付けっぱなしで、夏の甲子園が写っていた。これもあり得ない。夕方にはリビングの食器棚に飾ってある父がオーストラリアで昔買ってきた本物みたいなコアラの人形が棚から落ちた。怖いと感じたから友人では無いはず。 でもひょっとしたら、私が天国に行った時に、あの時怖がらせてごめん!あれ実は、、!って種明かしをして笑わせてくれるかも。そんな気もする。私を笑わせてくれる天才だったので、そんな事もあり得るかもと思ってる。
今日はこれを書くにあたって、悲しみに気持ちが引っ張られてしまったけど、寝る前は親友との数えきれない笑い話を思い出して寝ようと思う。
当時何度も繰り返して聞いた曲がある。モンパチのスコールという曲。キヨサクくんが亡くなった大切な人たちを想って書いた曲らしい。心に響くし痛いほどわかる。
不思議なご縁で繋がってるそばにいる大切な人との出会い。伝えられるうちに、精一杯想いを伝える事、日々心掛けるようにしている。出会ってくれて私の人生に大きな影響を与えてくれた親友がどこかで幸せに過ごしていてくれる事を願ってます。本当に。それに、ご家族の皆さんの幸せを心から祈っています。
5年目にしてしっかり向き合った命日でした。